太子堂

聖徳太子は仏教を篤く信仰し興隆に導きました。

親鸞聖人は聖徳太子を深く尊敬し、
このことから、浄土真宗の本堂に
聖徳太子像が祀られることが多く、
特に古刹と呼ばれるお寺には
太子堂が別に建てられています。

元々、ここ下地は
古くから太子信仰の篤い地で、
下地開発の頃から、太子堂が
建てられていたと伝わります。
聖徳太子は大工道具である
『差し金(曲尺・かねじゃく)』を
中国から持ち込み、
建築に関わる職人の育成にも尽力。
建築・土木の守護神としても
信仰されます。
この軸絵は
下地建具組合所蔵のもので、
聖徳太子は柄香炉ではなく
曲尺(かねじゃく)を持っています。
聖徳太子の祥月命日とされる
2月22日には、建築に関わる製材、
大工、建具などの職人たちが太子講を営むという風習が全国各地に残っています。

聖眼寺では、
春のお彼岸に法要を勤め、
お中日に、
太子堂で太子講を営みます。
年に一度、その日にのみ、
お厨子の太子像(十六歳孝養像)を
ご開帳、この軸絵と共に
公開いたします。

是非、その豊かなお顔を
ご覧ください。

徳川家康公とのご縁

       金扇と三つ葉葵

太子堂の左奥に見える背の高い木は楠。
第二次世界大戦で焼け落ちましたが、わずかに残った幹から
また枝葉が伸び、現在のような大木になりました。

その昔、
徳川家康公が西三河の一向一揆を制圧し、東三河で吉田城攻めに挑み、
聖眼寺に陣屋を置きました。
『太子堂の裏に椋の木ある所、東照宮御陣屋の跡なりと云う』
と伝わります。
家康公は、聖徳太子が物部守屋を討伐されたという故事を思い起こし、
太子堂に必勝祈願したとのことです。

徳川家に属して初めて参戦した牧野家は、
先に太子堂に勝利を祈願して、
金扇2本を太子堂に納めていました。
その金扇に家康の従者が「(聖徳太子の)御身の分身紛れなし」と進言。
家康公は感じるところがあり、
1本を寺の霊宝に、
もう1本は徳川家の馬印と決めると、
全軍の士気が上がり、吉田城は即日落城しました。
勝利を喜んだ徳川家康公は、
この上宮太子(太子堂の聖徳太子)に
『戦捷太子』の称号を奉ったと伝わります。
後に、家綱公より望まれて、
出府拝謁の際、金扇を持参すると、
徳川家収蔵の馬印と照合して、
その由緒を確認されたとの逸話もあります。
残念ながら、第二次世界大戦の戦禍に金扇も消失しました。
ただ、戦の勝利を喜んだ家康公より三つ葉葵の紋を使うことを許された故事を受け継ぎ、
太子堂で使う打敷には三つ葉葵の紋が入っています。
また、耐震工事を機に本堂屋根瓦にも三つ葉葵の紋を付けました。

本堂屋根瓦に付けた三つ葉葵です